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写真集Date

2009.05.01.Fri
 飛ぶ鳥を落とす勢いのクルム伊達公子選手が、先日スペインのITFトーナメントで優勝しました。

ということで、世界のトップにいたころの伊達さんの写真集を紹介したいと思います。

Date―伊達公子写真集Date―伊達公子写真集
(1997/01)
田沼 武男

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 この写真集はNumber出版ということからして、決して芸能人の私生活をひけらかすと言った浮ついたものではなくて、あくまで世界ランク4位まで上り詰めた「世界のKIMIKO」についてのトリビュートといった色が強く出ています。

 絶頂期に引退を表明をした伊達公子。それを追い続けた田沼武男カメラマンのコメントが泣かせます。


「伊達さんの引退が近いかもしれない、という思いは早くからありました。そんな不安に似た気持ちを抱いていたせいでしょうか。96年のウィンブルドンでは、僕の心の中に不思議な動きがありました。日没再試合になった準決勝でのことです。スポーツに”もしも”はないというのが常識ですが、あのまま試合が続いていたら伊達さんはウィンブルドンチャンピオンになっていた、と今でも時々考えます。
 あのとき心から勝利を願いながら、もしここでグラフを破ったとしたら、伊達さんはきっと引退してしまうに違いない、という不安が突然襲ってきたのです。翌日再試合になって敗戦が決まったとき、これでもう1年、僕たちの前にいてくれるかもしれない、という奇妙な感慨にふけったことを白状しておきます」


 伊達さんは94年世界のトップ10に日本人として初めて到達してから、それからの暮らしにすごくギャップを感じていて、それからはいつでも辞められるように、ツアーを回っていたらしいです。
 それで、96年、来年からランキングのシステムが変わることと、その年初めてNo1のグラフに勝利したこと(ちなみにその年確かグラフは伊達とヒンギスの二人にしか負けなかったと記憶しています)、そしてそのグラフとウィンブルドンセミファイナルで2日間かけて死闘を繰り広げたことが、引退する決め手になったようです。
 ちなみに2009年からウィンブルドンセンターコートにも屋根がつくようですが、もしも96年に屋根があったら結果は変わっていたでしょうか。
 とりあえず写真集冒頭にある96年の伊達さんのコーチ竹内映二さん(ちなみに父親の故竹内譲治さんは伊達さんの昔からの恩師)のコメントで締めさせてもらいます。

「私たちコーチの間で、『スイッチが入った』と伊達を表現をするときがある。試合の最中に彼女の集中力が最高潮に達したときの状態を指している。
 ベースラインの上で相手サーブを待ち受けるとき、両手で軽くラケットを支える伊達の姿勢が、徐々に徐々に沈みこんでいく。変化は周りのすべてのものに気づかない間に行われ、テニスコートを包んでいる空気にはわずかな乱れも生じない。しかし、すでに彼女には、俊敏な猛獣が獲物に飛びかかる直前のような、一瞬の隙も逃すまいとすべての感覚を研ぎ澄ませた、恐ろしいほどの緊張感がみなぎっているのだ。
 サービスプレーヤーが何度となくコートにボールを弾ませ、呼吸を整え、サーブをしようと視線を伊達のいるコートに移した瞬間、初めてその殺気に気づくことになる。
 伊達は気負っているのではない。むしろ、その気配を消して、静かに、そして鋭く獲物にねらいをつけているだけなのだが。
 そのとき、伊達の目に見えているものは何か。私には非常に興味がある。」


 僕は伊達さんの昔からのファンなので、これから何度もブログに登場してくると思われます。
とりあえずは伊達さんがスペインのITFトーナメントに優勝して得たWTAのエストリル・オープン出場資格で、再びヨーロッパに旅立った38歳の伊達公子選手の勝利を願うだけです。
 





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