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モニカ・セレス

2013.03.02.Sat
※今回語りモードです。

以前の記事で、モニカ・セレスの自伝の謝辞を取り上げましたが、もちろん意味があってのことです。
seles1 001

It is difficult to love with arms open wide enough to hold without crushing,
mind clear enough to understand without judging,
heart big enough to give without expecting to take.
But that is what my mother, father, and brother have done throughout my life.
Without their love and support this book, let alone my tennis career, would not have been possible.
More importantly, I would not have had the sense of security and balance that has guided me even when my path wasn’t clear.
It does not seem enough merely to acknowledge my family’s involvement and influence.
Yet all I can say is, they are my light.



はるか以前にも語った気がするんですが、モニカ・セレスというのは90年代初頭、シュテフィ・グラフから1位の座を引きずりおろし、93年辺りまで向かう所敵なしだった選手なんですが、ドイツのハンブルグの大会で試合中のブレイクで観客席にいた暴漢から襲われ、背中をナイフで刺されたという悲劇の女王です。いや、というよりかは、実際は彼女の予後のほうが悲劇だった、と言えるかもしれません。彼女を襲ったのは、シュテフィ・グラフのストーカーであり、動機は「モニカからテニスをさせないようにすること」でした。大会は何事もなかったように続行され、挙句にそのストーカーはその後無罪釈放されたという事実が、彼女を恐怖と欝のどん底に叩きのめしました。マスコミから会見を開けと要求される元No.1。開いたら開いたで、容赦なく浴びせられる彼女にとって熾烈な質問の数々。引きこもれば引きこもったで、ネタを嗅ぎ廻るマスコミに包囲される毎日。
そうして彼女は、一日中髪が乱れたまま、ヨレヨレのスウェットに身をまとい、暗い部屋の中で1カートンのアイスクリームを小脇に抱え、スプーンで延々と口に運ぶというような日々に身を落とします。

そして結局のところ2年後彼女は見事なカムバックを果たしたんですが、そういう激しい困難を踏まえた上でこの謝辞を読むと、プロテニスプレーヤー、それも18歳くらいの頃までユーゴスラビア人だった22,3の彼女が、ここまで見事な英文を書き上げた、ということに感動したのです。



きつく抱きすくめることではなく、両手をいっぱいに広げて人を愛するというのはとても難しいことだ。裁くことなく、澄んだ大きな心で人を理解し、与えられることを期待せず、ひたすら献身し続けるということも。しかしそれこそが私の母や、父や、兄が、生涯通じて行なってくれてきたものなのだ。
彼らの愛と支えがなかったなら、私のテニスキャリアは言うまでもなく、この本を出版することも不可能だっただろう。
更に重要なことに、先行きが見えないときでも行き先を示してくれたものがなかったら、安心だとか安定だとかいった気概をなくしてしまったことだろう。
私の家族の関わりや影響を感謝する、と言った言葉ではとても足りないと思う。
それでも私が言えることは、彼らは私の光だ。
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