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フリーダ・カーロ

2009.05.09.Sat
 あんまり暑くならないです。


フリーダ・カーロ―生涯と芸術フリーダ・カーロ―生涯と芸術
(1988/12)
ヘイデン・エレーラ

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 乗って間もなく、衝突事故が起こった。それまでは別のバスに乗っていたのに、私が小さな日傘をなくしたので捜すために一度降り、私をめちゃめちゃにした例のバスに乗りあわせる破目になった。
 衝突に気がついたとか、泣き叫んだとかいうのは嘘だ。私は涙も出なかった。衝撃によって私たちは前方に投げ出され、まるで剣が牡牛を刺すように、バスの手すりが私を串刺しにした。



 フリーダ・カーロというのはメキシコ人の画家ですが、夫がたいそう有名な壁画家で彼の影響で絵を描き始めたのが始まりです。初めは夫の方が有名だったようですが、現在の彼女の著名さに異論を唱える人はいないと思います。
 初めて彼女を知ったのは「世界ふしぎ発見」で彼女の特集が組まれていたからでした。


 救急車が来て、赤十字病院へと運んだ。当時、病院は事故現場から二、三ブロック離れた、サン・ヘロニモ通りにあった。フリーダの容態は極めて悪く、医師も助かるとは思っていなかった。手術台で死ぬだろうと診ていた。
 学校の廊下を鳥が飛ぶように活発に突進し、わざと走行中の電車やバスに飛び乗っていた少女は、いまや身動きもできず、ギプスや種々の新案器具に幽閉される身となった。「不思議な衝突だった」とフリーダは語る。「激しいというより、静かな、ゆっくりとした事故で、全員が傷ついた。私が一番ひどかった」
 腰のところで、脊椎が三箇所折れていた。鎖骨と第三、四肋骨も折れていた。右足は十一箇所も骨折し、右足首は脱臼のうえ砕けていた。左の肩も関節がはずれ、骨盤は三箇所折れていた。鋼鉄の手摺は彼女の下腹部を文字通り串刺しにし、体の左側から入り膣に抜けていた。「処女喪失よ」とフリーダは語っている。



 以後奇跡的に回復したが、後遺症が常に彼女に襲い掛かりました。
 『私の誕生』という作品がありまして、眉の繋がった赤ん坊が、シーツで顔を隠された母体の膣からダランと首が垂れ下がっているという恐るべき作品で、絵の下の方に謝辞用の帯が描かれているんですが、結局はこの帯に謝辞は書き込まれなくて、そのことが彼女のプリミティブな技法と相まって、恐怖を増大させています。
 彼女はこの作品を描くに至る自身の流産の経験をこう語っています。


 妊娠二ヶ月が過ぎても何ら不快感もなく、できる限り注意しながら、ずっと休養を続けてました。しかし、七月四日、理由も分からないまま、あっという間に流産したのです・・・・・・。胎児は形をなしていず、すでに三ヵ月半だというのに、まったくばらばらだったのです。


 彼女の悲惨な体験と、後の後遺症は彼女の絵やモチーフに多大な影響を与えたのは勿論ですが、一方で恐怖を楽しみ、死を笑い飛ばす、メキシコ独特のブラックユーモアが含まれていたことも事実であり、この強い意志が彼女を生かしたといっても過言ではありません。

「”笑い”ほど貴重なものはない。笑って我を忘れることは力。”悲劇”とは最も馬鹿馬鹿しいもの」

 土地の風土性、彼女の半生、彼女を取り巻く色々なものが彼女の絵を限りなくユニークなものにしています。金のために絵を描く必要がなかったという背景もあったでしょう。
 お金のためではなく、彼女の本当の意思から生まれた影を帯びた作品の数々は、ピカソをして「彼女の絵だけは描くことができない」と表現したように、非常に考えさせられ、印象深いものばかりです。
 子供を得ることができなかった彼女は絵を描くことで、新たな子供を残したようです。


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